職業柄、「どうやったら英単語を覚えられますか」とよく訊かれます。その問いには、暗記が非常に難しいということが前提になっています。だから、「難しくて当然」と言ったら身も蓋もないないと思われるかもしれませんが、もう少し我慢して読み続けてください。
まず、外国語学習は、ご存知の通り、鍛錬の要素が強いのが特徴です。コミュニケーション重視の英語教育と言われて久しい昨今、「使える英語」が重宝がられ、暗記は良くないといった風潮さえあります。しかしながら、基本的な文法を押さえ、ある程度の語彙が身についてから多読で語彙を拡充していく方法を別にして、初期段階ではやはり暗記を避けることはできません。
では、英語力がある程度つけば暗記は必要ないかと問われると、「いや、それはちょっと」と逡巡してしまいます。そこで、母語と外国語習得の知見を活用して分かりやすく説明してみたいと思います。
次の漢字を読んでください。「雨」「雨量」「雨漏れ」「小雨」
皆さん、問題なく「あめ」「うりょう」「あまもれ」「こさめ」と読めますよね。でも、これってすごいことなんですよ。外国語習得の難しさは、我々の母語との言語的距離によって決まります。これは、両言語間の違いが大きければ大きい程、難易度が高いことを表します。例えば、漢字を使用する中国語や文法が似ている韓国語は、日本人にとって、比較的易しい外国語だと言われる一方で、発音から文字体系まで大きく異なる英語やアラビア語は、習得が非常に難しい外国語だと認識されています。これは、逆も然りです。英語母語学習者にとって、日本語はとても難しい外国語なのです。特に書くだけでなく複数の読み方もある漢字習得に悪戦苦闘しています。
日本語教育では、音読みで構成される漢語が語彙体系だということに加え、多くの漢字に複数の読み方があることから漢字習得を語彙習得と捉えています。他方、日本人にとって、rice/lice(米/しらみ)bag/bug(バック/虫)frame/flame(枠/炎)といったスペルが似ている英単語は、紛らわしく習得が覚束ないようです。基本的に正確に発音ができれば弁別も可能となります。このことから発音能力も語彙習得に含まれることが理解できるでしょう。
しかし、我々日本人は、なぜ間違いもせず、上述の全ての「雨」が正確に読めるのでしょうか。公教育で学んだという経験があるのは確かですが、日常生活の中で何度も目にしたり聞いたり使ったりしているからではないでしょうか。しかも、文脈の中で。これを英語学習に当てはめると、暗記した単語を読んだり聞いたり使ったり、即ち話したり書いたりすれば、忘れないとまで言わずとも忘れにくくなるということです。
では、どのようにしたら4技能を絡めるような言語学習環境を整えることができるのかを考えてみましょう。まず、不規則な発音が多い英単語の場合、繰り返しますが、正しい発音ができて聞き取れる、また話せるということです。そのために、発音CD付きの単語帳を買い求め、発音を確認しながら暗記するのが第一歩です。
綴りと発音を一致させて頭に入れたら、色々な文脈で使われるものに触れることです。例えば、先述の「雨量」一つを取っても、「8月の雨量は、観測史上最大でした」「北海道24時間雨量200ミリ超」「前線の動きが遅く雨量増加の恐れがあります」など様々な文脈で覚えたい単語に触れることで丸暗記から脱却し、頭の中に定着していきます。更に、雨量とは、降った雨がどこにも流れ去らずに溜まった場合の「水の深さ」ですと定義づけができると、自信を持って使いこなせるのではないでしょうか。このようなことから十分なリーディング及びリスニング学習教材を揃え、且つ使う機会が豊富にあるかどうかが肝となります。
学習教材に関しては、書店に行けば迷うくらいの英語学参書が並ぶ現代、その中で自分に合ったものを一つ選び、それを繰り返し使って覚えるのが大切です。しかし、それでも覚えられないのなら、知らず知らずのうちに惰性で暗記している可能性があります。所謂、丸暗記ですね。例えば、選択肢がある単語の穴埋め問題を解き、正解かどうかのみにだけ気が行き、一喜一憂していないでしょうか。単語が文の中でどのように使われているか、なぜ間違えたのかといった理解と分析をしなければ、単なる丸暗記です。私達は、丸暗記でいくつの単語が覚えられるでしょうか。加えて、単語だけでなく一文一文を正しく理解できなければ、段落で構成されている読み物を理解するために必要な読解力へとは繋がりません。そこで、似たような問題集を数冊購入し、より多くの文脈で同じ単語に触れる機会を作るのも一手です。学習投資だと考えれば、購入費数千円で十二分に元は取れます。
英語力が上がってくると、例えば、英検準1級レベルだったら、英字新聞を読んだり英語のニュースを聞いたりして、より多くの英語インプットを自ら与え、わからない単語は、英英辞典で調べ、定義まで覚えることが効果的になってきます。また、接頭辞・接尾辞を学んで、既習語彙の整理定着を図ったり未習語彙の推測力を高めたりすることも必要でしょう。しかし、英字新聞、英語のニュースだったら何でも良いのかというと、そういうわけではありません。同じ英字新聞でも日本で刊行される「The Japan Times」とアメリカ本場の「The New York Times」では、言い回しを含めた使用語彙レベルに結構な差があります。前者は、日本に滞在する英語ネイティブと日本人英語学習者を対象にしているからです。学習する際、適切なレベルの目安として、100ワード程度に未習単語が数個です。10も20もあったら、恐らく類推もできず、効果的な学習になり得ないでしょう。
次に、コミュニケーション重視の英語教育で陥りやすいのが、取り敢えず「話せたら良し」とする風潮です。例えば、英語の挨拶一つ取っても、How are you? に対して I’m fineと返せたから満足するのではなく、他にも Doing great!、Not bad、(ちょっと英語ができるところを見せてやるかと)Pretty well, but I feel quite depressed due to the COVID-19 pandemicと複数の表現を身につけた上で「選んで」返している人と前者では、語彙力において雲泥の差だと思いませんか。このように、現状に甘んじない向上心が語彙習得を促進します。
話が少し逸れますが、日本語の表現力が豊かな人は、往々にして英語の表現力も豊かです。それは、母語と外国語の基本的な能力が通底しているからです。想像に難くないと思いますが、表現力が豊かな人は、小さい時から沢山の本を読んでいると思いませんか。また、家庭で色んな会話をしている子供も表現力が磨かれます。そのような意味で、多くの問題集を解き、様々な文脈で使用される単語に触れるというのは、ある意味、多くの本を読む環境に近いものがあります。
まとめますと、学習段階で英単語の覚え方が少しずつ変わっていくこと。まずは発音CD付きの単語帳で覚えることから始まり、読んだり聞いたりして多くの文脈で単語に触れること。同時に、話したり書いたりすることで単語を使ってみることです。また、英語でより正確により詳しく表現したいという気持ちが語彙習得の原動力になるのではないでしょうか。それから、「英語は難しい」という謙虚な気持ちと日々の努力を忘れない姿勢が大切だと思います。日本に住んでいる私達は、日本語のインプットの洪水に日々晒され、生活のために日本語でコミュニケーションを取っています。だから、日本語をほぼ自由自在に操り、日本語に苦労しないわけです。そのような意味で、「英語は簡単ではない」と正しく認識し、様々な言語活動を通して語彙習得を含めた英語力を着実に身につけることが大切ではないでしょうか。
当校では、語彙習得が促進するように、各受講生のレベルに適した教材を揃え、4技能が絡むような授業を心がけています。特に大事なのが、受講生に読み物を音読させ、機会あるごとに英語のやりとりの中で単語の意味を確認し、語彙習得の度合いを浮き彫りにする作業です。これは、受講生にとっては認識及び使用機会を増やすことになり、教師にとっては受講生の英語力を把握するための評価機会となります。また、受講生が現状に甘んじないように、時には発破をかけることもあります。まあ、この学習意欲を高めるというのが一番難しいのですが、これも教師の大事な役目だと思っています。
最後に一言。英語学習において語彙習得は、文法理解と同様に英語力の要です。IRT(項目反応理論)が応用されているTOEICや英検にしても高校・大学入試にしても、様々な言語活動で身につけた語彙力こそが力を発揮するのです。テスト直前に慌てて行う暗記は、所詮付け焼き刃です。殆ど身についておらず、精度が高い試験、特に語彙力が物を言う英検やTOEFL/TOEFLには通用しません。はっきり言います。ですから、受講生が自宅でコツコツと英単語を暗記するといった孤独な作業が、確実に実を結ぶような授業を常に行い、適宜アドバイスも行っています。あら、一言でなく二言、三言と増えてしまいましたね。申し訳ありません。
次回は、「情報の非対称性と英語学習」(仮称)について書きたいと思います。
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